2018/07/05

ふるカフェ系 ハルさんの休日「埼玉・伊奈町」あなたも大黒柱に見とれてください

今回、ハルさんが訪れたのは、埼玉県にある伊奈町です。

大宮から、ニューシャトルに乗って、伊奈中央駅で降ります。私は、最近しばらく乗っていないけれど、今はきれいな新型車両が走っているのですね。

おめあてのカフェは、「紡ぎの家 大島」。住所は、北足立郡伊奈町小室11064 です。

ニューシャトルの伊奈中央駅から歩いていくと、17分かかります。その先の羽貫(はぬき)駅からは15分です。公式サイトより。

建物は、寄せ棟造り(よせむねづくり)の大きな家です。いわゆる豪農(ごうのう)と呼ばれる、豊かな農家。

今は瓦屋根ですが、昔は、茅葺き屋根だったのでしょう。

お店の中に入ると、立派な大黒柱・梁が目に飛び込んできます。女大黒という柱もあります。

ほれぼれするような、太くて黒光りする柱です。ハルさんがその柱に抱きついたので、いかに太い柱なのか、感じることができました。

2階は、二間続きの和室。すりガラスの模様もかわいい。

のらぼう菜をふるまってもらうハルさん。伊奈で、のらぼう菜の栽培に力を入れている人たちの活動が紹介されました。

この建物は、調整区域にあります。ベッドタウンとしてどんどん人口が増える伊奈町ですが、おかげで、生き残ることができました。

老朽化のために取り壊しされる寸前でしたが、カフェにリニューアルして、人々が集まる場として、再生したのです。

そして、カフェだけではなく、貸しスペースもしています。

番組では、バラのゼリー入り飲み物が紹介されていましたが、公式サイトのメニューには見当たりませんでした。行ってみてのお楽しみ。

2018/06/30

ふるカフェ系 ハルさんの休日「東京・西荻窪」名人によって今によみがえった古民家カフェ

今回、ハルさんが訪れたのは、都会の中、駅の近くのふるカフェです。

店の名前は、りげんどう。住所は、杉並区松松庵3丁目38−20。

屋根は、桟瓦(さんがわら)、最も多く使われている、ありふれた瓦です。外壁は、下見板張り(したみ・いたばり)。板を重ねて貼ることで、雨が入り込むのを防いでいます。

塀は、大和塀。正面から見ると、まったく中が見えない。でも、板が筋違いに貼ってあるから、風は通るというすぐれものです。昭和の初めに流行ったらしい。

この建物は、いわゆる文化住宅のように見えます。文化住宅とは、大正時代に、洋風の生活を取り入れた最先端の住宅のことを言います。

玄関は、中が良く見えるガラス戸。

足を踏み入れてみると、建具は和風です。レトロな空間が広がっています。

ハルさんが、いなり寿司と紅茶を注文をしていると、そこに現れたのは見覚えのある顔。

東京・あきる野の回で登場した、一級建築士・酒井晢さんです。酒井さんは、多摩地域の洋風建築に詳しい方。

酒井さんといっしょに、この建物をもっとくわしく見てみたいと思います。

文化住宅の特徴の一つは、今までの畳中心の生活ではなく、イスを使う洋風の生活をイメージしているということ。現在の住まいの原型と言えます。

この建物が文化住宅だった、ということを示す跡がないか、建物を中を探検してみるハルさんと酒井さん。でも、けっきょく見つけられませんでした。

そこに来たのは、大家の尾崎美穂子さん。答え合わせをします。

この建物は、土地を借りていた家族が建てたものだそうです。家族が住まなくなったので、尾崎さんのお父様が譲り受けました。

でも、建築基準法に引っかかって建て替えることができず、そのまま残されていたのが、カフェに生まれ変わったというわけ。

もともとの間取りは、日本家屋でした。1階は和室2間。娘さんの代になって、2階を増築しました。


さて、ランチをいただきます。かわいらしい見た目、少しずつの量が何品かあって、女性客向けです。


ここで、お店のオーナーが、メニューや内装について紹介してくれました。

テーブルには、変わった模様がついています。これは、型友禅で使われていた版板です。テーブルの脚には、鉄のレールが使われていたり、雰囲気づくりがうまい。

調べてみると、この松場夫妻は、石見銀山生活文化研究所という会社を設立して、アパレルなど、いくつもの事業を動かしています。

古民家の再生も、10軒ほど手がけていて、使う建具にも細かい気配りが行き届いています。ガラス戸の模様を1枚だけ変えてみたり。

松場さんは、「復古創新」という理念を掲げて、過去・現代・未来を見ながら、古い良いものを未来に生かしていこうとしているのです。

昔ならどこにでも普通にあったような古民家が、現代ではなかなか見ることができない素敵な空間に生まれ変わっていました。

2018/06/23

おかあさんといっしょで「大きな古時計」が流れた日

「おかあさんといっしょ」といえば、  朝8時からEテレで放送している子ども向けの長寿番組です。歌あり人形劇あり、私も子どもの頃はよく見ていました。

わが家でも、子どもが好んで見ています。

朝の連ドラ「ひよっこ」を序盤で見るのをやめて、「おかあさんといっしょ」を見るようになりました。それから考えると、もう1年以上は見ているはずです。

その「おかあさんといっしょ」で「大きな古時計」の歌が流れました。すると、画面に釘付けになる子ども。

わが子は、もともと歌のコーナーが好きなのですが、クギ付けになっている感じがいつも以上で、ただ事ではない。

私が身支度をしながら、その様子を眺めていました。横目で見る感じでしたが、画面に吸い込まれるように見ているさまが伝わってきました。

帰って妻から話を聞くと、「大きな古時計」の歌をせがまれて、1時間くらい歌ってあげたとのこと。それを聞いて、やっぱり気に入ったのかと思ったのでした。


「大きな古時計」の歌詞は、「100歳生きたおじいさんが天国に旅立った後、時計も止まってしまった」というものです。
ヘンリー・クレー・ワーク氏によって、1876年に発表され、アメリカで楽譜が100万部以上売れたらしい。現在よく知られている日本語の歌詞は、1962年にNHKのテレビ番組『みんなのうた』で、保富康午の訳詞によって「大きな古時計」として放送されたもの。(Wikipedia)
子どもが、どこまで内容を理解したのかはわかりませんが、何かを感じて心が動いたのは間違いない。

今回のできごとで、「悲しい」という感情がわかる土台が、子どもの中にできているのかなと思いました。

今までは、悲しい話の絵本を読み聞かせることはありませんでした。また、読んであげても、意味がわからないのではないかと思っていました。

でも、これからは悲しい話の絵本も読み聞かせてみよう、と考えるようになったのです。

2018/06/22

ふるカフェ系 ハルさんの休日「神奈川・箱根宮ノ下」訪れる人を受け入れるという想い

今回、ハルさんが訪れたのは、箱根町・宮ノ下にあるカフェです。どうやら、老舗旅館とかかわりが深いカフェらしい。

宮ノ下といえば、箱根駅伝のランナーが通過することでも有名な温泉街。

露天風呂に入って、開店までの時間をつぶすハルさんです。

箱根は火山ですから、宮ノ下以外にも、温泉場があります。湯本・塔ノ沢・堂ヶ島・宮ノ下・底倉・木賀・芦ノ湯をまとめて、箱根七湯と呼んでいます。

このなかで、堂ヶ島・宮ノ下・底倉・木賀の4つの温泉場は、宮ノ下にあるのです。いかに宮ノ下が温泉街として栄えているか、うかがえます。

おめあてのカフェは、坂道の途中にありました。店の名前は「ナラヤカフェ」。住所は、神奈川県足柄下郡箱根町宮ノ下 404-13。

店の前には、足湯のスペースがあり、テーブルもあるので、そこでお茶ができます。

建物を外から見ると、赤茶色にさびたトタン板が目に入るので、ちょっと廃屋みたいな感じもしますが。

中に入れば、別世界。年月を経ていそうな太い茶色い柱と、白い壁が、目にあざやかです。

そして、上を見上げれば、2階の床を外した吹き抜け。日本民藝館に行ったときも感じましたが、やっぱり吹き抜けは気持ちがいい。

店の中には、ひょうたんのモチーフがたくさんあります。思い返せば、宮ノ下の町の中にも、ひょうたんがあちらこちらにありました。

なぜひょうたんなのでしょうか。話は、戦国時代にさかのぼります。

豊臣秀吉が、小田原城攻めをしているときに、宮ノ下に石風呂を作って、兵士を療養させたそうです。秀吉の軍勢が滞在したおかげで、街がにぎわったそう。そこで、秀吉をたたえるために、秀吉が馬印として使っていたひょうたんのマークを、街のシンボルにしているのです。

店では、ひょうたんモナカを食べることができます。

お店の店主、安藤さんの家は、もともと奈良屋旅館という、老舗旅館でした。しかし、2001年に閉館してしまいます。

2006年に、安藤さんが手放さなかった築50年の古民家3棟を改装して、カフェをオープンしました。そのとき、旅館の建具や照明を再利用したのです。

安藤さんは、今でも、ゲストハウスをオープンする計画を進めています。

手伝っているのが、地元の大工・芹澤さんと材木店・大山さん。木を使った建物を建てることについて、熱い想いを聞くことができました。

次に紹介されたのが、ナラヤカフェのとなりにある「ならやあん」。木を使ったおみやげものを取りそろえています。

小田原漆器職人の鈴木さんが登場。小田原漆器は、室町時代から続いています。透明なウルシをぬることで、木目そのままの美しさをきわだたせているのです。

小田原の若手木工職人集団「いぶき会」という団体があることを知りました。

最後には、安藤さんのお父さんが登場。

たしかに旅館という建物の形はなくなってしまいました。でも、箱根という場所では、訪れる人をこころよく受け入れる、という気持ちは今でも息づいているのです。