いました。
世田谷美術館で、今月末まで開かれている「フリオ・
ゴンサレス展」を見に行くために、用賀から美術館までの
道を歩きます。
「ピカソに鉄彫刻を教えた男」というサブタイトルに
興味がひかれました。
話はそれますが、美術館までの歩道はきれいに整えられ、
「百人一首」の歌を刻んだ石が敷き詰められています。
これを見るだけで、頭が「美術鑑賞モード」に切り替わります。
世田谷区の文化レベル、すごいわ。
1. 彫刻家としての始まり
さて、本題。展示の初めは、若いころの作品でした。
金細工などが多く並べられている中で、目を引いたのは、
小さな女性像です。
例えば、こんな作品。タイトルは「ヌード2」
引用元
(クリックして画像は拡大します)
手のひらサイズの小さい「裸婦像」ですが、豊かな丸みは、
大きな迫力をもって、見るものに迫ってきます。
この作り手が才能にあふれていることを示すものだと
言えるでしょう。
同じくらいのサイズで、男女が抱き合っているものも
ありました。こちらも、官能的なものでした。
2. 抽象彫刻家として
そんな、フリオ・ゴンサレスですが、抽象彫刻家としての道を歩くことになります。
前にあげた「ヌード2」を作ってから、およそ20年の月日が
たっていました。
会場には、いくつか作品がありましたが、一押しは、こちら。
タイトルは「ダフネ」
引用元
(クリックして画像は拡大します)
私は、抽象彫刻を、見慣れていません。
そこで、なんで彼は、抽象彫刻を作り始めたのだろうと
そのわけを妄想してしまいました。
3. 抽象芸術ってどんな意味があるんだろう
そもそも、自分のメッセージを過不足なく伝えたいのであったら、先にあげた「ヌード2」のような具象彫刻の方が
ふさわしいと言えます。
受け手にとって、とらえ方に違いが生まれにくく、
伝えたいことがそのまま伝わるからです。
例えば、いまあげた「ダフネ」という作品を見て、私が
感じたことは
「木の切り株から芽が出ているみたい。鉄なのに
緑豊かな大地の生命力を感じる。」
というものです。
では、あなたはどう見えますか?
私とまったく同じ感想をもつ、ということには、ならないの
ではないでしょうか。
このような"ぶれ"が生じるのを受け入れてまで、
なぜ、作家は抽象的な作品を作るのでしょうか。
ひとつの考え方としては、自分の心の中にある「もやもや」した
何かを形にすると、抽象作品になるといえます。
これは、ちょっとあいまいな言い方です。
それでは、別の考え方はできないでしょうか。
私は、こう考えてみました。
抽象芸術家は、「何か新しいものや体験を、世の中に
生み出したい」という、いわばベンチャー企業家のような
心もちで、抽象作品を作ってるのである。
例えば、アップル社のiPodが、新しいスタイルで音楽を聴く
ことを私たちに示し、その結果、人々の音楽への接し方が
変わりました。
抽象芸術も、これと同じような役割を持っています。
私たちは、今ある具体的なものに意識をとらわれがちです。
それに対して、抽象芸術は、「新しい何か」を私たちに示すことに
よって、人々の意識を変えようとたくらんでいるのだと
考えられるのです。