2016/05/27

埼玉県・川口市にある「ふるカフェ」をごぞんじですか?

私も、最近になって知ったのですが。その店の名前は、senkiya(センキヤ)といいます。

川口といえば、古くは鋳物の町。今では、高層マンションが立ち並ぶ町です。西川口などは、少し前までは、「夜の街」として、その名前が全国の物好きたちの間で広まっていました。

そんなおしゃれとは、無縁に思えた川口です。でも、時代の流れでしょうか、女子受けする今風のスポットが、現れつつあるようです。センキヤもそんな、おしゃれスポットのひとつ。

敷地の中には、カフェだけではなく、雑貨屋、イベントスペース、工芸作品展示のスペースなどさまざまな空間が広がっています。

先日も、「第8回みんなの市 春の陶器市」として、食卓を美しく彩る食器が格安で手に入るイベントがありました。「よしざわ窯」というお目当ての店が出ていたので、開場10分後に行ったのですが、すでに100人以上待っていて、結局あきらめて帰ってきた、なんてこともありました。

それはさておき、センキヤのカフェの話。

お店のご主人(といっても若い。30代でしょうか)、その人の話では、実家の植木屋の日本家屋を少しずつ改装して、カフェを始めたとのこと。

NHKの番組に出てくるふるカフェもそうですが、古い建物を少しずつ手を加えて改装していく、ということが重要です。この過程をへることが、お店として成功するためのポイントのひとつなんだと思います。

センキヤの内装はこんな感じ。(クリックして画像が拡大します。)

センキヤの柱
センキヤの天井

NHKの「ふるカフェ」に出てくるような○○造りのような、目だった特徴はないです。でも、日本家屋の良さが生かされた、味わいのある空間だと感じました。

テーブルから見る外の景色























窓が大きく、テーブルからのながめは開放的です。(夕方に写真を撮ったので少し薄暗いかも。)
おいしいコーヒーを飲みながら、ぼんやりと時間をすごすのには、ぴったりのお店でした。

メニューはこちら。(公式サイトの画像にリンク)

不定休だそうなので、事前にご確認ください。
交通の便があまりよくないです。私は、武蔵野線の東浦和駅からバスに乗っていくことをお勧めします。バスを降りたら、目の前に店がありますので。


【追記】
センキヤがEテレのふるカフェで取り上げられました。番組のレポートはこちら

2016/05/25

ふるカフェ系 ハルさんの休日「神奈川県 小田原」

今日おとずれたのは、北条氏が開いた小田原城の城下町、小田原です。

昔は、大工町と呼ばれていた地区にあるのは、築80年、さわやかサイダーが味わえる商家カフェ。その名は、nico cafe (住所は、小田原市栄町2丁目15−26です。)

このカフェは、出桁造り(だしげたづくり)という構造で建てられた、2階建ての家です。出桁とは、軒(のき)を大きく張り出すようにした家の建て方をさします。出桁造りの例

2階は、レンタルスペースだそうで、カフェではないのですが、正統派の和室といった感じ。立派な床の間を見ることができました。

小田原の梅で作ったサイダーがお店の売りです。

小田原の梅の栽培は、500年前、北条早雲の時代にさかのぼることができます。戦国時代には、梅は戦争に携帯するための食べ物だったらしい。

このお店では、オムライスやから揚げ定食といったランチメニューがあります。また、かまぼこ自然薯(じねんじょ)揚げという新名物を売り出しているのも面白い。現代人のかまぼこ離れに危機感をもって、小田原の人はいろいろと工夫しているようです。

小田原では、関東大震災や空襲、高度経済成長をへて、つぎつぎに古い建物が失われていきました。このカフェのある建物も、飲食店などオーナーが変わるたびに、手を加えられ昔の面影が失われていました。そこにきたのが、今のカフェのオーナーです。

建築家であることを生かして、仲間と協力して、建物の再生に取り組みました。そして、もとの商家としての家構えを復元することができたのです。

この商家は、もともとは建具屋さんのもの。建具屋さんが自分たちで建てた思いのこもった家なのでした。

古い地図をみると、このカフェのある一帯には、ほかに左官屋さんや畳屋さんがあったそうです。大工町という昔の町の名前にも、納得。小田原の歴史の重みを感じる放送でした。


次回は、御柱祭りで有名な諏訪町のカフェ。カフェと自転車との意外な接点が見つかります。

2016/05/19

ふるカフェ系 ハルさんの休日「埼玉県 行田」

今日おとずれたのは、蔵の町、行田市にある築60年の「パンカフェ」です。
その名も、カフェ閑居(かんきょ)。 住所は、行田市行田7-3。

行田市には、東京駅から電車で1時間10分ほどで着きます。埼玉県の北部にあるこの町は、昔、足袋(たび)の名産地として知られていました。300年前から足袋作りが始まったという歴史があります。

お目当てのカフェは、ソテツに囲まれている風変わりな外観です。広々とした和室のほかに洋室をあわせもつ「和洋折衷様式」の建物として築かれました。もともとは、行田市の初代市長・奥貫賢一氏の邸宅だった建物です。となりに建っている蔵は、作った足袋を保管していたのでした。

お店のおすすめは、「夏みかん紅茶」。庭に、たわわに実る夏みかんから作られたジャムを、紅茶に入れて飲みます。

お店で出されるパンは、となりの蔵で焼かれたもの。蔵が土壁で出来ているため、部屋の温度と湿度が安定していて、そのため良いパンができるそうです。
ちなみにパン屋さんの名前は「足袋蔵パン工房 rye (ライ)」です。

行田といえば、「フライ」も有名。「フライ」とはソースがたっぷりぬられた、薄いお好み焼きみたいものです。私は、10年ほど前に、視察で行田に行ったことがありますが、結局「フライ」は食べずじまいでした。

行田の蔵は、足袋作りが衰退したために、放置され、荒れ果てていました。そんな蔵ですが、このカフェのある地域のように、再生され、よみがえる蔵が次々と出てきたのです。


【2016.5.21追記】
今日の首都圏ニュースを見ていて知ったのですが、この週末は、「ぎょうだ蔵めぐりまちあるき」というイベントをやっているのですね。公式ブログ

ニュースの映像は、あっという間に終わってしまいました。ただ、短い映像からでも楽しそうな感じが伝わってきました。公式ブログも充実していて、イベントに対する力の入れ具合を感じます。この公式ブログでも、行田の足袋職人さんのことが「ふるカフェ」でとりあげられた…と触れています。

ふるカフェの番組を見ていなければ、スルーしてしまうであろうニュース。何ごとでも興味を持てば、世界が広がるのだなと感じました。


次回は、かまぼこの町、小田原にあるカフェです。梅サイダーとか今の季節にぴったり。

2016/05/15

引っ越し先が決まった

物件さがしを始めてから1年弱、ようやく引っ越し先が見つかりました。

初めは分譲マンションを探し、借地権付きの戸建ても検討したこともあります。結局、落ち着いたのは駅に近い賃貸アパートでした。

購入の場合は、現地待ち合わせだったのに、賃貸の場合はまず事務所に呼び出されたのです。それだけでストレスがたまりました。さらに、目当ての物件を決めて、不動産会社に行ったものの、あれもこれもといろいろな物件を紹介されてうんざり。2か所を内見をして、やっぱり、初めから心に決めていた物件に落ち着いたのです。

それにしても、賃貸の場合も、入居時の初期費用ってけっこうかかるものです。家賃を除いて約20万。引っ越しも自己負担とすると、あわせて数十万円になるのでしょう。(今回の私の場合は、貸主都合の退去なので、引っ越し費用を私が払う必要はないですが。)

仮契約も済ませたのに、いまさらなのですが、賃貸物件を探すときのチェックポイントを73個も並べたサイトがありました。今からでもできることはないか、と考えてみます。引き渡しで鍵をもらった時に、その時点での部屋の様子を写真にとって記録してみようと思いました。

子どもが小学校にあがるまでの数年間暮らせばいいやと思って、かなり狭い部屋にしてみました。この決断が吉と出るか凶と出るか。

2016/05/11

ふるカフェ系 ハルさんの休日「横浜市 中山」

今日おとずれたのは、築60年で、庭付き一戸建て暮らしが味わえるカフェです。
そのカフェは、横浜市の中山にありました。

坂を上がったところにある「753cafe」(横浜市緑区中山町21−10)
大きい窓からは、部屋の中までたっぷり日差しが入り、部屋の中にいてもまるで外にいるような開放感を味わうことができます。

お店のメニューで、まず紹介するのは、新鮮な自家製野菜を使って作る「水キムチのドリンク」。水キムチとは、唐辛子を使っていない辛くないキムチです。

中山は、緑地の面積が大きく、家庭菜園も盛んだとか。「753cafe」では、自家製の野菜をいただくことができます。

中山周辺は1960年代に多くの一軒家が建てられたのですが、1990年代には、手放す人が増え、空き家が目立つようになったのです。今の大家さんは、そのような家を無くすのは惜しいと思って建物を買い取りました。「753cafe」は、そんな建物にオープンしました。

緑区というだけあって、豊かな自然を街づくりに生かしている場所なんだな、という印象を持ちました。


次回は、足袋の町・行田市の蔵カフェです。

グルテンフリーでもスイーツを楽しみたいあなたのために「米粉のフィナンシェ」 レシピ公開

グルテンフリーの生活をはじめて2週間、ケーキ大好きだった私も、フルーツを良く食べるようになりました。フルーツに含まれる糖分のほうが、お菓子の糖分よりも血糖値があがりづらく、健康に良いそうです。

とはいえ、まったくお菓子を食べたくない、というわけではありません。

ところが、売っているお菓子は、小麦粉を含むものがほとんどです。そこで、いろいろと手作りに挑戦してみました。

そのなかで、もっとも上手くできたのは、「米粉のフィナンシェ」です。私は、フィナンシェというものをはじめて作ったのですが、しっとりもちもちの食感で、最高の仕上がりでした。フィナンシェを知らない人のためにどういうものかを説明すると、だいたいマドレーヌのようなものです。

マドレーヌとの違いは、
  • 卵白だけを使い、黄身は使わない
  • アーモンドパウダーを使う
  • 焦がしバターを使う
そのため、香ばしい風味と、しっとりした食感が特徴的です。

材料は、
  • 無塩バター 100グラム
  • 卵白 100グラム(常温にもどしておく。卵3、4個分)
  • てんさい糖 100グラム(白砂糖より血糖値が上がりにくい
  • はちみつ 20グラム
  • アーモンドプードル 40グラム
  • 米粉 40グラム(小麦粉を使わないのがグルテンフリー)
作り方は、
  1. 焦がしバターを作ります。なべにバター100グラムを入れて、中火にかけ、焦がします。これをこして、冷ますと、こんな感じにできます。(陶器でできたコーヒーのドリッパーにフィルターをのせて、焦がしバターを注ぐだけ。) 写真左がこした後。右はフィルターにたまったカスです。
     

  2. 卵白を泡だて器でほぐし、てんさい糖とはちみつを加えてよく回し混ぜます。卵白はほぐすだけで良く、泡立てる必要がないので、かんたんです。

  3. アーモンドプードルと米粉は混ぜ合わせて、ふるいにかけます。ふるいにかけた後に、前の手順2でできた液の中に粉類を入れ、混ぜ合わせます。さらに、焦がしバターを入れ、混ぜます。よく混ぜるとこんな感じになります。













あとは、型に入れて、200℃のオーブンで15~20分間、焼くだけです。
「フィナンシェ型」というものも売っていますが、わたしはパウンド型で作りました。
できあがりがこちら。

 

レシピは、「よくわかるお菓子づくり基礎の基礎」(柴田書店)を参考にしました。

小麦粉の代わりに、米粉を使います。ですから、小麦粉のグルテンのおかげで生まれる「ふんわりふわふわ」という食感は、難しいです。かわりに、「しっとりもちもち」の食感が楽しめるというわけです。

アーモンドプードルの量が多く、つまり、米粉を少ししか使わず、しっとり感を楽しむお菓子であれば、フィナンシェの他にもおいしく作れそうです。

ではでは。

2016/05/07

グルテンフリーの生活を始めてみた結果。腸の調子がよくなった

あなたは、グルテンフリーという言葉をごぞんじですか。グルテンフリー生活を始めて、2週間足らずですが、私にとってかなり効果があったので、書いてみます。

1.グルテンフリーとは、どういうもの?

まず、グルテンとは、何かというと、
グルテン (gluten) は、小麦、ライ麦などの穀物の胚乳から生成されるタンパク質の一種。麺類やパンなど、小麦加工品を作る上で弾性や柔軟性を決定し、膨張を助ける重要な要素となっている。(wikipediaより)
つまりグルテンフリーとは、小麦粉など、グルテンを含む食べ物を食べないということです。

グルテンフリーについて書かれた本として「ジョコビッチの生まれ変わる食事」という本があります。現在、男子テニス会で圧倒的なトップのジョコビッチ選手。以前の彼は、ものすごい努力をしてもフェデラーやナダルに及ばずに、なかなかトップを取れず、そのうえ、たびたび体調不良に悩まされたそうです。でも、グルテンフリーの食生活にしてから、見違えるように体調が良くなり、ついにトップの座を手にすることができたのです。

妻が読んでいたこの本を見て、「ジョコビッチがものすごい成果を挙げた」という実績に心が動かされました。そして、私もちょっと試してみようという気になりました。

2.グルテンフリーって何を食べればいいの?

グルテンフリーをつづけるためには、食事のメニューを考える必要があります。
何しろ、グルテンフリーを実行するためには、パン、パスタ、ピザ、うどん、ケーキ、クッキー、こういった食べ物は避けなければなりません。小麦を使った練り物・揚げ物もNGです。

日本には、米食の文化があるので、炊いたご飯を中心にすれば、グルテンフリーの第一歩が踏み出せます。そして、お昼ごはんは弁当を持参するようにしたほうがいいでしょう。ある意味、弁当をもっていく習慣があれば、グルテンフリーはかんたんにできます。私は、朝ごはんはパン食だったので、白米に切り替えました。

3.グルテンフリーをするとどんな良いことがあるの?

小麦粉をとることで、アレルギー反応を起こすことがあります。もっともひどい症状は、セリアック病と呼ばれ、主な症状として、肥満、慢性の下痢、疲労感などがあります。

セリアック病のようなひどい症状にならなくても、多くの人が「グルテン不耐症」をもっているといわれています。体が重かったり、疲れやすかったりといった症状は、「ただの体質だからしかたない」と思い込みがちですが、「グルテン不耐症」の表れなのかもしれません。

私の場合は、だいぶ前から、便が柔らかく、平均して毎日2回、多いときには3回排便をしていました。体質だから仕方ないと考えていましたが、グルテンフリーにしてからは、毎日1回ですむようになったのです。

また、胃もたれして動きたくない、とか、頭が回らないということも無くなりました。食べ終わった後は、きちんと満腹になるけれど、しばらくするとお腹がすき、次の食事もおいしく食べられます。

このような結果が出せたので、私にとっては「やって良かったグルテンフリー」と断言できます。

もちろん、現在の症状は人それぞれで、グルテンフリーにした結果も人によってさまざまに異なるはずです。「グルテンフリーをすれば、必ずこんな良いことがある」という訳ではありません。食事を変えることによって自分の体がどのように変わっていくかを見つめ、食生活を見直してみる、そのきっかけを作るのがグルテンフリーなのです。

4.グルテンフリーを続けていくためには

グルテンフリーを続けていくうえで、ひとつ大変なところは、白米ばかり続くとあきやすいというところです。かりに、毎日毎日3食ともすべて白米だと、あきてしまいます。 現代の日本人が、米から小麦へ、ご飯からパンにシフトしていったのも仕方ない。

 グルテンフリーを続けるうえでは、白米以外のバリエーションも考えておきましょう。 クックパッドなどで探せば、いろいろメニューが出てきます。私が、もっともリピートしているのは、高野豆腐を戻してスライスし、トーストするものです。ジャムなどの甘いものとの相性は良くありませんが、惣菜パンの代わりとしてなら、わりと美味しいです。 価格が手ごろなのも良いです。

益子の雑貨店で目にしたのが、モロヘイヤ入りパスタ。多少、うどんみたいな食感ですが、モチモチして美味です。ただし、250グラムで400円以上と、主食としては高めの値段です。

小麦粉の入っていない蕎麦も、風味が豊かで楽しめます。ただし、炭水化物を含んでいません。そのため私は、昼に食べるとエネルギー不足を感じてしまいます。

ジョコビッチのようなお金持ちならともかく、食費をそれなりの額に抑えておくことも、グルテンフリーを続けるために大切なことなのです。

5.どうする甘い食べ物

グルテンフリーをやせるためのダイエットとして行うならば、糖分を控えることも必要です。なぜなら、糖分をとると、血糖値が急上昇し、それを抑えようとしてインスリンが出ることで、脂肪をためこみやすくなるからです。参照サイト

とはいえ、糖分が足りなければ、頭の動きがにぶってやる気が出なかったり、逆効果になることも。そこで、ほどよい糖分をとることは必要です。(ただし、糖分の取りすぎは要注意。ひみつ堂で、甘いカキ氷を食べたら、ひどく眠くなってしまいました。)

はちみつをなめて終わりというのでは、物足りないので、グルテンフリーの甘い食べ物をいろいろ作ってみました。おすすめできるレシピは、こちら。米粉で作るフィナンシェです。

2016/05/04

ふるカフェ系 ハルさんの休日「東京都 青梅」

この番組を見はじめて4回目、やっと、私でも何とか行けそうな場所が取り上げられました。

東京都は、青梅市。今までは、奥多摩へ登山へ行くときに通過するだけで、駅を降りたことはありませんが。最近、パワースポットとして人気を集めているそうです。

町中に並ぶのは、レトロな映画宣伝看板。そんな町中を抜けてたどり着くのが、今回紹介する繭蔵(まゆぐら)。住所は、青梅市西分町3丁目127。

建物の外壁は、大谷石でできています。

内装は、あまり間仕切りのない感じで、広々とした空間が広がります。
玄関に敷かれているのは、1枚づつ焼いて作られた色とりどりのタイル。
上を見上げると、茶色く重厚な梁(はり)が空間にメリハリを生み出しているのです。

2階の天井は、洋小屋組。

メニューには、野菜をふんだんに使ったものが並びます。
番組で取り上げたのは、ブラックベリースムージー。私が葉山のカフェに行った時も、ベリーのスムージーがあったし、今のブームなんですね。

青梅という地名からは、多くの梅の木が並んでいる様子を想像します。ですが、プラムボックスウイルスという梅の伝染病が大流行したために、3万本あった梅が全部切られてしまったそうです。そこで、野菜を植えて町おこしをしているとか。

コースターに使われているのは、青梅夜具地(おうめ・やぐじ)という布です。夜具地とは、ようするに、布団の綿のカバー。半世紀前の青梅では、その生産が盛んで町も大いに活気があったのです。その記憶を今に伝えるものとして、コースターとして使われています。

青梅の街にも、こんなにもいろいろな歴史があると知って、興味がかきたてられました。


次回は、横浜の郊外にある平屋のカフェを訪ねます。記事はこちら