2017/01/05

ふるカフェ系 ハルさんの休日「金沢」 古いものと新しいものが共存する町をたっぷり歩いてみませんか

久しぶりに始まりました、『ふるカフェ系 ハルさんの休日』。ハルさんが、ふるカフェ、つまり、古民家を生かして営業しているカフェを訪れる番組です。

今回は、特別番組ということで、1時間放送され、2カ所のカフェを訪れました。

金沢には、茶屋街(ちゃやがい)と呼ばれる地区があります。ひがし茶屋街、主計町(かずえまち)茶屋街、にし茶屋街と分かれています。

まず、番組で紹介されたのは、ひがし茶屋街。1820年にできた金沢最大の茶屋街で、国の重要伝統建造物保存地区になっています。

茶屋というのは、芸妓さんがいる店のことです。昭和30年代には、60軒以上の茶屋があり、200人以上の芸妓さんがいました。

次に、主計町茶屋街を訪れます。「かずえまち」と呼ばれているのは、加賀藩士、富田主計の屋敷があったからです。ここは、浅野川沿いにあり、明治初期に形成されました。

この主計町茶屋街を歩いていると、細かい格子が特徴的な建物がありました。

その格子は、木虫籠(きむすこ)と呼ばれています。外からは中が見えにくく、中から外がよく見えるのが特徴です。

1軒目の店の名前は、土家。住所は、金沢市主計町2-3です。

この記事のように、日本建築学会の広報誌にも取り上げられるくらい、見ごたえのある建物です。

内装は、1階もすてきなのですが、2階が特に目を引きます。「ベンガラ」で真っ赤にぬられた床の間が素晴らしい。

窓からは、ゆったり流れる浅野川と、対岸の建物を見てなごむことができます。

お店では、サービスで、棒茶(茎だけを使った番茶)と栗蒸しようかんがついてきます。すごい気前の良さ。

予約すれば、仕出し弁当も食べられるそうです。

金沢には、この店のような茶屋のほかにも、町屋・民家・武家屋敷があり、1950年以前に建てられたものを、「金澤町屋」と呼んで保存しています。

町屋研究会というものもあり、カフェ「土家」を修復したのも、この会のメンバーの人です。


町屋研究会の人たちに教えられて、ハルさんが、次に向かいました。2軒目のお店は、明治末期の黒い門の古民家です。

長町武家屋敷跡という一角に、そのお店があります。長い土塀や石畳の小道が続くこの場所に、大きな屋根の建物が見えてきます。

その屋根は、切妻造りで、白壁に格子が入ったデザイン。「あずまだち」と呼ばれます。そんな和風の建築の中に、カラフルなエスニックのドアがあったり、金ぴかの仏壇があったりする不思議な建物です。

店の名前は、「くらげが雲になる日」。住所は、金沢市長町2-6-5です。

ハルさんが注文したのは、プーパッポンカリーというメニュー。タイでよく食べられているカニを使ったカレーです。

作り方は、香箱ガニ(メスのズワイガニのこと)を使います。カニの卵をカレールーと鶏卵に混ぜます。あとは、カニの身と季節の野菜といっしょに炒めるだけです。

見ているだけでお腹がすいてきました。

2階に案内されると、そこには、渋い青色の壁がありました。群青壁とよばれ、ラピスラズリを使った青い顔料で塗装する金沢独自の壁です。

群青壁は、藩主の前田斉泰(なりやす)が始め、武士や豪商の間に広まりました。

金沢のふるカフェでは、赤い壁・青い壁と対照的な2軒を見ました。どちらも金沢の特徴的な色です。

伝統を守りつつも、革新的なものを生み出してきた金沢。そのふところの深さを見ることができた旅でした。

最後に、番組で紹介された金沢の建造物を並べておきます。

尾山神社 神門(国の重要文化財)
金沢21世紀美術館
石川四高記念文化交流館
鈴木大拙館
金沢蓄音機館

子どもを連れて、いつか金沢に行ってみたいなと思いつつ。ではでは。

2016/12/06

イクメンブルー(育児うつ)になる前にできること

朝、いつものようにお弁当を作りながら、NHKを見ていました。すると、イクメンブルーになる男性が、増えているとの特集です。見逃した人のために、サイトも作られています。リンク先

イクメンとは、子育てする男性のこと。2010年に当時の長妻大臣が言いだして広まったそうです。(コトバンクを参照)

そして、イクメンブルーとは、子育てをしている間に、理想と現実のギャップに苦しみ、うつ病などの心の不調に悩まされることです。

「うつ」だという話になると、すぐに甘えだという指摘が出ます。しかし、私はそうは思いません。

子育ては、しんどいです。

もちろん、楽しいこともいっぱいです。わが子は、5か月を過ぎたところですが、へんな踊りを見せるとキャッキャと笑ってくれるし、その顔はとろけるように可愛いし。

外出すれば、たまに「かわいいですね」と声をかけられるし、遠巻きに「あの子可愛い」と言われることもあるしで、いい気持になります。

しかし、逆に言えば、それ以外の時間は、親の体にとって負担なのです。

しょっちゅう泣いて、抱っこをせがみます。夜中になれば、抱っこして寝かしつけるために1時間近くかかることもしばしばです。

子どもが、身の回りのことを自力でできる状態になるまでは、このように手のかかる状態が続くわけです。

それでは、どのように対処すればよいのでしょう。共働き世帯を前提に、考えてみました。

一番良いのは、働く時間を減らすことです。とはいえ、実現はなかなか難しい。

すると、次の方法として、家事の負担を減らすことが考えられます。どのような家事があるか考えてみると
  • 朝晩の食事の用意と片づけ
  • 床の掃除
  • 洗濯して干し、乾いたらたたむ
洗濯物をたたむこと以外は、お金を出せば手を抜くことができます。お惣菜を買ったり、高性能の掃除機や洗濯機を買ったり、いろいろな方法があります。

イクメンブルーになるくらいなら、そういったところに惜しみなくお金をかければいいのにと、私は考えます。夫婦でよく話し合って、何を買って家事の省エネをすればよいのか、相談したうえで決めましょう。相談する過程で、お互いの悩みについて、よく理解できるようになるはずです。

もし、お金をかけたくないというのなら、家事と育児のシェアリングをしてみてはどうでしょうか。つまり、相手の家の家事を代わりにやるのと引き換えに、子どもの面倒を見てもらうのです。また、小さい子がいる家庭どうしだったら、お互いに子どもを預けあって、片方の家では子どもの面倒だけを見る、もう片方の家では家事だけをする、そして例えば一週間ごとに役割を入れ替える、ということを繰り返します。

子育ての何が負担なのかと考えると、寝かしつけるまで、気が休まる暇がないことです。育児のシェアリングをすれば、子育てから解放され、一息つくことができて、心の健康が保たれるのです。

健やかな気持ちで、育児を楽しみましょう。

ではでは。

パクチーがおいしい季節が待ち遠しい。今年の一皿のニュースを聞いて

ぐるなびが最近はじめた「今年の一皿」という企画。去年は、「おにぎらず」でした。おにぎらずに私が出会った経験について、去年ブログに書きました。今でも、よく作ってピクニックに持って行っています。

そして、今年は、パクチー料理だそうです。公式サイトはこちら

このニュースを聞いて、一時期パクチーをよく食べたなと思い出しました。

パクチー料理って、なんとなく写真に撮りたくなります。カメラロールをさかのぼると、今年の4月から5月にかけて、よく食べていました。

グルテンフリーを追い求める流れで、ビーフンとか、ライスペーパーなどに興味を持って、料理をした(してもらった)からです。

そんなパクチーですが、さすがに、寒い冬の間はご無沙汰。来年の春になったらまた自然と食べたくなるのでしょう。

パクチーとエピのサラダ

ショウガが、アクセントになった一品。










パクチーのベトナム風春巻き

ベトナム風の春巻きにあこがれて作ってみたものの、中身をつめすぎて、不格好になってしまいました。

魚醤につけて食べた記憶があります。見た目のわりには、味は良かった。









パクチー山盛りビーフン

米粉の麺で、休日のお昼ご飯を作るのがブームだったころの一品です。

わりとキレイに盛り付けられました。

今は、休日の昼も、「おにぎり」か「おにぎらず」を食べることがほとんどです。久しぶりに米粉パスタを買ってみようかな。







パクチーとベーコンの野菜炒め

2016/11/25

ポリティカル・コレクトネストは死んでない

アメリカ合衆国の大統領選挙で、トランプ氏が当選したという衝撃のニュースが飛び込んできたあの日。2週間も前のことになります。

今では、NHKニュースまでもが、トランプ氏は常識人で、日本もうまくやっていけるという論調です。でも、本当にそうなのかは、実際に就任してみないとわからないはず。大統領として、どういう評価をすべきかは、来年になって考えてみるとします。

ところで、この選挙が終わった後に、次のような考えを目にしました。クリントン氏が「ポリティカル・コレクトネス」を打ち出したから、落選してしまったのだ、だから「ポリティカル・コレクトネス」という考えは用済みなのだと。

そもそも、「ポリティカル・コレクトネス」とは何でしょうか。wikipediaによれば、次のような意味の言葉です。
ポリティカル・コレクトネスとは、政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことで、職業・性別・文化・人種・民族・宗教・ハンディキャップ・年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現を指す。
私が思うに、言葉というものは、人が自分の考えを表現するための「うつわ」です。現代において
も、自分の考えを表現するとき、言葉はあいかわらず、とても大切なものです。

そして、現代社会は、職業・性別・人種などに基づく差別をなくしていこうという動きの結果、なりたっています。かつて、たとえば女性は選挙権も与えられず、また、体の不自由な人は移動するのにも大変な苦労をしていたのです。

今もなお、完全に差別がなくなったわけではないですが、昔と比べると差別的な扱いは減りました。

それでは、なぜ、時代とともに社会が差別を減らす方向に進んできたのでしょうか。

それは、人を、ひとりひとりが個性を持った人間であると認めて、その人格を尊重して対応するべきだと考えられるようになったからです。

そして、ポリティカル・コレクトネスの背景には、人を差別的な目で見るのをやめて、その人格を尊重しようという考えがあります。

ですから、ポリティカル・コレクトネスは、ひとりひとりを尊重しようと考える社会の流れが当然に行き着く先なのです。相手をお互いに思いやる気持ち、そんな気持ちを具体的に表現することが、ポリティカル・コレクトネスであると、私は考えます。