今回訪れたのは、京都市にある吉田山です。前回の西陣に続いて、京都がとりあげられて楽しみです。
京都にあまり詳しくない私は、吉田山とはどの辺にあるのだろう、と思ってしまいました。妻に聞くと、京都大学のあたりだよ、とのこと。なるほど、銀閣寺方面なのかと理解しました。
めあてのお店は、風情のある坂を登っていったところにあります。店名は、
茂庵(読み方は、「もあん」)。住所は、京都市左京区吉田神楽岡町8。
今までハルさんが訪れた店を集めた「
ふるカフェマップ」を更新しました。
茂庵を始めた谷川茂次郎
茂庵は、谷川茂次郎という人によって始められました。谷川茂次郎さんは、明治の終わりから、大正、昭和のはじめにかけて活躍した、実業家です。
当時、新聞という新しいメディアが誕生し、その需要は爆発的に拡大しました。谷川茂次郎さんは、大阪で、新聞用紙を中心に扱う運輸業をおこし、大成功を収めたのです。今でも、その会社は
谷川運輸倉庫株式会社として続いています。
谷川氏が成功したのは、なぜでしょうか。その理由のひとつは、大阪朝日・大阪毎日などの新聞社と、王子製紙などの製紙会社との間をうまくとりもったからです。一昔前の言葉で言うなら、フィクサーだったのでしょう。
その様子は、弘前大学の
こちらの論文にくわしく書かれています。(PDFの17ページ目)
茂庵は、「茶の湯」の文化を大切にする場所です。それは谷川茂次郎さんが、茶の湯に熱心に取り組んだからです。実は、彼に茶の湯をすすめたのは、取引先である王子製紙の社長でした。
茶の湯の心を生かすため、谷川茂次郎さんは、吉田山の山頂に茶室8席、月見台、楼閣など広大な森の茶苑を築きあげました。(茂庵・公式サイトより) 長い年月を経て、今でも残っている建物が、現在のカフェ(茂庵)と田舎席・静閑亭と呼ばれる2つの茶室です。いずれも、京都府の登録有形文化財に指定されています。
彼のすごいところは、茶席だけではなく、住宅開発までやってしまったところです。いまでも、「吉田神楽岡町 大正時代の家並み」として保存されています。
茶の湯を愛した人ですから、その住宅開発にも、みやびな心が感じられます。写真を見ただけですが、植栽や、坂を生かした家並みが素晴らしいです。
ここのサイトに写真付きで詳しくのっています。
いつかは、この場所を訪れてみたいなと思いつつ。
では、また。