2018/02/23

死に触れて、生きることを考える。分け与える喜び。

大杉漣さんが亡くなったというニュースがありました。

あまりドラマを見ない私でも知っている有名な方。60代という若さだけに、改めて命のはかなさを感じます。

職場でも、現役の人の訃報に接することがあるわけで。わが身に置きかえて考えてしまいます。

もちろん、寿命が何歳で尽きるかは人それぞれ、運命によるもの。

先日亡くなった祖母は、101歳でした。

それこそ、生まれた時から面倒を見てもらっていて、私が社会人になってから10年ほどは二人で一緒に暮らしていたほどです。

小さい頃は、幼稚園のグッズに刺繍をしてもらったり、大きくなったらセーターを編んでもらったりしたものです。

一緒に暮らしていた時は、家事の面倒を見てもらって。それは、社会人失格じゃん? という非難は甘んじて受けますが。

いろいろなものを与えてもらいました。もらったものは物ですが、こうして何年たってもおぼえているのは、愛情を受け取ったからに違いありません。

私も、結婚して、妻ができ子ができて、愛情を与えることができる立場になりました。

どんな形で愛を与えて、寿命をまっとうしようか。そんなことを考えてしまいました。

人に喜んでもらえる私のただ一つのスキルは、お菓子作りです。ですから、お菓子作りの腕をみがいていくのが良いのかなと思うのでした。

2018/02/20

クソみたいな職場の話

職場がしんどい今日この頃です。

メンバーのうち一人ならず、長期休んでいて。
少々休んだくらいでは辞めさせられないから、休む人が続くのも仕方がないのかな。

むしろ休むことの方が合理的だし、なんで働いているのだろうという気すらしてきます。

おかげで容赦なく押し寄せる残業の山。といっても、月50時間にも満たないレベルなので、残業好きの人からすれば、何を言っているのだという感じでしょうが。

ただ、今は、最低限の収入さえあれば、5時にさっさと切り上げたいのです。家で子どもの面倒を見る方がいい。

早く在宅ワークが導入されないかなあ、とも思うれけど、そんな気配は少しもなく。

転職するだけの思い切りもなく、当面は現状維持なのかもしれないけれど。

チャンスをうかがって、方向転換できたらいいなと妄想する毎日です。最低限、英語の勉強から始めなくては。

2018/02/18

イーサリアムを使うゲームの準備をしてみた

仮想通貨ブームということで。

イーサリアムという「仮想通貨」をやりとりすると、ブロックチェーンでゲームをすることができるらしいです。

たまごっち的なゲームがそろそろ始まるということなので、設定をしてみました。

  1. まずは、google chromeに、メタマスクをインストールします。手順は、こちらを見ました。
  2. 次に、入金をします。QRコードでも入金できるのですね。
スマホで、取引所をメインに動かしている私にとっても、簡単に操作できました。

(ハードウェアウォレットを早く入手しなくてはと思いつつも、先延ばしにしているありさま。)

入金が確認できるまで、30分ほど待ちました。

ブラウザは、google chromeだけではなく、braveというものでも良いみたいです。公式サイトは、こちらから。

ふだん使いはchromeにして、仮想通貨用はbraveにしてみようと考えています。braveだと「世界の株価」がちゃんと見られなません。なので、私にとっては、ふだん使いには向かないのです。

子育ては趣味ではなく、使命です

このツイートが話題になっていました。子育てネタの盛り上がりが気になる、今日この頃です。

3000万円の内訳は、詳しいところはわかりません。本当に3000万円必要なのかは別として、確かに、かなりの金額がかかるのは間違いないでしょう。

この手の話を聞くと、昔のことを思い出します。

私が中学校の頃、30年近く前の話です。歴史の先生が、「娘が大学に行っているので、お金がかかるんだよ。金食い虫だね」という話を良くしていました。この話をする先生は、楽しそうだった記憶があります。

子どもにお金がかかるということは、昔から言われていることです。

子育てを、趣味として考え、お金が損か得かで判断するならば、「貧乏人が手を出していい趣味じゃない。」と言えるでしょう。

でも、私は、子育ては趣味だとは考えません。社会人として、今まで特に大したことをしてこなかった自分が、大切な役割を果たすことができる場面。それが子育てだと考えます。

まとめると、子育ては楽しすぎるので、「趣味だ」とか言っていないで、使命としてぜひやるべきです。

午前中が暖かかったせいで、薄着で午後出かけたら、子どもが鼻水を出してしまいました。2月中は気を抜かず、寒さ対策が欠かせないと反省し、親として成長することができたのでした。