2018/03/29

ドイツの出生数が順調に増えているらしい

今日はドイツのニュースに注目してみました。
何かと日本と比較されがちな国、ドイツです。個人的には、新婚旅行で行った先です。そのせいもあって、ドイツのニュースは気になります。
ドイツは、移民を積極的に受け入れている国です。そこで、移民が多く子どもを産むからベビーブームなのでしょう、という推測ができます。

もちろん、その推測は正しいです。

記事だけでは、詳しい数字はよくわかりません。そこで、ドイツ連邦統計局のニュースリリースを見てみました。ドイツ語は、あいさつ程度しか勉強しなかったので、Google翻訳頼みです。

外国人女性の総出生数は、女性1人当たり2.28人なのに対して、ドイツ人女性の場合は、1.46人です。

とはいえ、ドイツ人女性から生まれた子どもは、5年前(2011年)に55万人だったのに対して、2016年には60万人を超えています。
ドイツ人女性から生まれた子どもも、数は増えているのです。

ドイツといえばシリア難民なわけで、2015年から2016年にかけて、生まれた子どもの数は4倍以上と、急激に増えています。ただ、2016年の段階では、あいかわらず、トルコ系の子どもの出生数が最大となっています。

これに対して、日本はどうかというと、「2016年の出生数、初の100万人割れ」という記事がありました。

ドイツの出生数が日本を上回るのも時間の問題なんだな、という気がします。ちなみにドイツの人口は8267万人で、日本の3分の2ほどです。

ICOの現状について分かったことと規制について考えた

Yahoo!を見ていたら、ICOが盛り上がっているというニュースがありました。
「あれ? 日本ではICOって規制されたんじゃないの?」と思っていましたが、勘違いでした。

金融庁が、ICOには詐欺的なものもありますよ、という注意喚起を平成29年10月27日に出しただけにとどまっているのが現状です。
ICOとは、企業等が電子的にトークン(証票)を発行して、公衆から資金調達を行う行為の総称です。トークンセールと呼ばれることもあります。(金融庁の文書から引用した)
そもそもトークンって何?と思ったら、分かりやすい記事がこちら

法規制が検討されているというネットニュースの記事はありますが、規制の中身はよくわかりません。

トークンは、ざっくり言ってしまうと利用権・サービスを受けられる権利です。すると、トークンを発行している組織や人を信頼して、そこに価値を見出しているわけです。

「組織などを信頼して、サービスを受け続けられると思いお金を払う」このような状況は、仮想通貨とは関係なく、今までもありました。

そこで、消費者保護の考えを生かして、無価値のトークンはその発行体が買い戻さなけばならない、としてみてはどうかと考えています。

2018/03/27

里親制度について勉強してみた

厚生労働省は、里親制度を使って子どもを育てる人を増やそうとしています。
ここの資料を見ると、現在、里親に育てられている子どもが数千人いるようです。それを十数年かけて倍にしたいとのこと。

ただ、NHKの調査で明らかになったのは、里親を引き受けるのはたやすいことではないという話です。

数字を見ると、半分の人が、「基本的生活に難しさがある」「愛着障害を感じている」とのこと。
愛着障害とは、乳幼児期に長期にわたって虐待やネグレクト(放置)を受けたことにより、保護者との安定した愛着(愛着を深める行動)が絶たれたことで引き起こされる障害の総称。(引用元はコトバンク)
ただ、子どもとの関係を解消するに至った人は、全体の約1/4とか。苦労を感じつつも、子どもとの関係を維持しようとしているふうに思えます。

やはり、血のつながっていない子とはいえ、子育てはやりがいを感じるからなのでしょうか。

写真にも残らない子どもの笑顔を心に刻む

少し大げさなタイトルをつけてしまいましたが、心に残った出来事があったので書いてみます。

妻が歯医者に通っているため、土曜日は、自分と子どもの2人で買い物に行くことが良くあります。

子どもはまだ2歳にならないので、店の中を自由に歩き回るよりは、カートやベビーカーで移動することの方が多いです。

先日の土曜も、そんなふうに、近所のスーパーで子どもをベビーカーに乗せて買い物をしていました。我が子は、いちごが大大好物で、いちごを切らすと不満顔をします。

ちょうど、冷蔵庫からいちごが無くなっていたので、いちごを買おうとしました。「いちご食べる?」と子どもに聞いて、450円のいちごのパックを手に取りました。そのときの我が子の笑顔は、まじりっけなしの笑顔でした。

単語はぽつぽつと話せるようになりましたが、まとまった会話はまだできない子どもです。それでも、その表情は心からの喜びを語っていました。

もう少ししたらおしゃべりできるようになるだろうし、そうしたら表情だけを純粋に感じる機会も減るんだろうな、と思いつつ。そんなささやかな瞬間に、子どもとコミュニケーションをとれた喜びを感じたのでした。