2018/04/10

子どものほんのささやかなことでも、親は気をもむもの

この前、日曜日ということもあって、私と子どもの2人で公園の中を散歩していました。すると、前の方から、見知らぬ子が歩いてきます。

年は、1歳を過ぎたあたりでしょうか。わが子よりだいぶ小さいですが、「遊ぼうよ~」という感じで、やってきます。

ほとんど反応しないわが子に、「こんにちは、だよ」と呼び掛けてみます。それでも、あいかわらず固まったまま。

やってきた子は、何とか交流をはかろうとします。でも、変化はない。その子も、あきらめて行ってしまいました。

その後は、何事もなかったかのように歩き出しました。

レゴや積み木遊び、お絵かき、読み聞かせが大好きで、同年齢の中でもかなり体格が良く、ほとんど病気もしない。少しのいたずらを除いて、親としては、とても育てやすいと感じます。

それでも、友だちとコミュニケーションをとることがうまくないので、やきもきしてしまいます。

妻からも、同じような話を聞きました。ですから、これは、子どもの性格なんだろうなと考えています。

自分も、人付き合いは苦手です。それでも、どうにかこうにか社会の中で生きています。それを考えると、人付き合いが苦手なままでも何とかなるだろうとも思います。また、大きくなれば性格も変わるかもしれないですし。

もうすぐ2歳のわが子を前にして、感じました。ささやかなことでも、子どもの成長を心配してしまうのが、親心なのだなあと。

2018/04/08

色のない世界と色のある世界を行き来した画家ルドン

Eテレの日曜美術館は、新年度第1回目。ルドンが取り上げられていました。
そんなこともありつつ。
先日、ルドンの展覧会に行ったメモです。

​印象に残った作品が3点ありました。

1点目は、「兜をかぶった横顔」



ルドンは、木炭画を含む素描がフランスでは好まれないことを残念がりました。
ものすごく細かく書き込まれていて、みごとだ。という感想につきます。

2点目は、「若き日の仏陀」

ルドンは、植物学者クラヴォーと交流がありました。そのクラヴォーから影響されたと考えられる作品です。

クラヴォーは、東洋の文化に興味を持っていました。そのため、ルドンもブッダのような東洋のモチーフに興味を持つことになったのです。

ルドンの作品のなかで、ほかの作品とは雰囲気が異なっており、目を引きました。土田麦僊が所蔵していた、というエピソードも印象的。

3点目は、「ドムシー男爵夫人の肖像」

黒の服、赤のインナー、余白の青と白。
実物を見ると、そのコントラストが作るイメージが素晴らしい。圧倒されました。

ルドンはドムシー男爵から、邸宅の大広間を飾るという大きな仕事を任されたわけです。この絵は、スポンサーに対する恩返しみたいな作品になります。

そういう経緯で描かれたものです。それだからこそなのかもしれませんが、手抜きをした感じが全然ありませんでした。そのことも印象に残りました。

芸術におけるモデルの立場を考えるきっかけ

アラーキーこと写真家の荒木経惟氏のモデルをしていたKaoRi氏が、告白をしました。ヌード撮影の時は、部外者が立ち会うことを望んでいないのに、部外者を入れて撮影されたりした。そういう数々の望まない撮影で、死んでしまおうと考えるほど、精神的負担を受けたというのです。

このKaoRi氏の告白の中でも触れられていますが、現在ニューヨークで開かれている展覧会では、
男性写真家、それも有名な写真家である場合、女性の身体を使った芸術行為への合意形成における力関係を操ることができる、と問題提起している。
とのことです。(引用元)

私もアラーキーの写真展を見に行ったことがあります。でも、その時は、「女性モデルの意思がねじ曲げられて撮られている」なんてことは、考えてもみませんでした。

ただし、そういう視点を持ち合わせたとしても、結局、写真は世に出された形だけが評価の対象となってしまうのです。モデルの意思まで込みで、写真を評価するということは行われにくいと考えます。

だから、撮ったもの勝ち、主導権は写真家にあることになります。

とはいえ、「写真のためなら、モデルの気持ちはぞんざいに扱われてもいい」という考えは誤りだといえます。写真という芸術活動と、モデルの気持ちとの間には、優劣はつけられないものだからです。

そのようなモデルの立場をどうすれば守ることができるのか。契約で取り決めをするというのも一つの考えだと思います。契約によらずに何かできることはないのか。考えてみたいと思います。

2018/04/07

誰も見向きもしなくなったハクサイ 青果の値段あれこれ

Yahoo!ニュースで見たけれど、白菜の値段が急激に安くなったらしいです。1週間で半額になったと聞くと、すさまじい。

今年の冬は、わが家では、白菜を5回も食べたかしら。指折り数えても、片手にもならないくらいだと思います。

1玉800円くらいしていた記憶が。白菜を食べなかった人が多いのではないでしょうか。そして、白菜を食べなくてもどうにか冬を乗り切れると感じてしまった人も多いかも。

もともと白菜の出荷量は、数十年前に比べると60パーセント以下になっているようです。(データ参照元)

さらに出荷量が落ち込むことになるのかどうか、今後が気になります。

このサイトを見て分かったことは、今のサクランボの値段がものすごい高いということ。いちごの9倍の値段だというから驚きです。

むしろ、今の時期からサクランボが出回っていることを知りました。ニュースによると、先週あたりに山梨でも初めての収穫を迎えたそうです。