2018/06/23

おかあさんといっしょで「大きな古時計」が流れた日

「おかあさんといっしょ」といえば、  朝8時からEテレで放送している子ども向けの長寿番組です。歌あり人形劇あり、私も子どもの頃はよく見ていました。

わが家でも、子どもが好んで見ています。

朝の連ドラ「ひよっこ」を序盤で見るのをやめて、「おかあさんといっしょ」を見るようになりました。それから考えると、もう1年以上は見ているはずです。

その「おかあさんといっしょ」で「大きな古時計」の歌が流れました。すると、画面に釘付けになる子ども。

わが子は、もともと歌のコーナーが好きなのですが、クギ付けになっている感じがいつも以上で、ただ事ではない。

私が身支度をしながら、その様子を眺めていました。横目で見る感じでしたが、画面に吸い込まれるように見ているさまが伝わってきました。

帰って妻から話を聞くと、「大きな古時計」の歌をせがまれて、1時間くらい歌ってあげたとのこと。それを聞いて、やっぱり気に入ったのかと思ったのでした。


「大きな古時計」の歌詞は、「100歳生きたおじいさんが天国に旅立った後、時計も止まってしまった」というものです。
ヘンリー・クレー・ワーク氏によって、1876年に発表され、アメリカで楽譜が100万部以上売れたらしい。現在よく知られている日本語の歌詞は、1962年にNHKのテレビ番組『みんなのうた』で、保富康午の訳詞によって「大きな古時計」として放送されたもの。(Wikipedia)
子どもが、どこまで内容を理解したのかはわかりませんが、何かを感じて心が動いたのは間違いない。

今回のできごとで、「悲しい」という感情がわかる土台が、子どもの中にできているのかなと思いました。

今までは、悲しい話の絵本を読み聞かせることはありませんでした。また、読んであげても、意味がわからないのではないかと思っていました。

でも、これからは悲しい話の絵本も読み聞かせてみよう、と考えるようになったのです。

2018/06/22

ふるカフェ系 ハルさんの休日「神奈川・箱根宮ノ下」訪れる人を受け入れるという想い

今回、ハルさんが訪れたのは、箱根町・宮ノ下にあるカフェです。どうやら、老舗旅館とかかわりが深いカフェらしい。

宮ノ下といえば、箱根駅伝のランナーが通過することでも有名な温泉街。

露天風呂に入って、開店までの時間をつぶすハルさんです。

箱根は火山ですから、宮ノ下以外にも、温泉場があります。湯本・塔ノ沢・堂ヶ島・宮ノ下・底倉・木賀・芦ノ湯をまとめて、箱根七湯と呼んでいます。

このなかで、堂ヶ島・宮ノ下・底倉・木賀の4つの温泉場は、宮ノ下にあるのです。いかに宮ノ下が温泉街として栄えているか、うかがえます。

おめあてのカフェは、坂道の途中にありました。店の名前は「ナラヤカフェ」。住所は、神奈川県足柄下郡箱根町宮ノ下 404-13。

店の前には、足湯のスペースがあり、テーブルもあるので、そこでお茶ができます。

建物を外から見ると、赤茶色にさびたトタン板が目に入るので、ちょっと廃屋みたいな感じもしますが。

中に入れば、別世界。年月を経ていそうな太い茶色い柱と、白い壁が、目にあざやかです。

そして、上を見上げれば、2階の床を外した吹き抜け。日本民藝館に行ったときも感じましたが、やっぱり吹き抜けは気持ちがいい。

店の中には、ひょうたんのモチーフがたくさんあります。思い返せば、宮ノ下の町の中にも、ひょうたんがあちらこちらにありました。

なぜひょうたんなのでしょうか。話は、戦国時代にさかのぼります。

豊臣秀吉が、小田原城攻めをしているときに、宮ノ下に石風呂を作って、兵士を療養させたそうです。秀吉の軍勢が滞在したおかげで、街がにぎわったそう。そこで、秀吉をたたえるために、秀吉が馬印として使っていたひょうたんのマークを、街のシンボルにしているのです。

店では、ひょうたんモナカを食べることができます。

お店の店主、安藤さんの家は、もともと奈良屋旅館という、老舗旅館でした。しかし、2001年に閉館してしまいます。

2006年に、安藤さんが手放さなかった築50年の古民家3棟を改装して、カフェをオープンしました。そのとき、旅館の建具や照明を再利用したのです。

安藤さんは、今でも、ゲストハウスをオープンする計画を進めています。

手伝っているのが、地元の大工・芹澤さんと材木店・大山さん。木を使った建物を建てることについて、熱い想いを聞くことができました。

次に紹介されたのが、ナラヤカフェのとなりにある「ならやあん」。木を使ったおみやげものを取りそろえています。

小田原漆器職人の鈴木さんが登場。小田原漆器は、室町時代から続いています。透明なウルシをぬることで、木目そのままの美しさをきわだたせているのです。

小田原の若手木工職人集団「いぶき会」という団体があることを知りました。

最後には、安藤さんのお父さんが登場。

たしかに旅館という建物の形はなくなってしまいました。でも、箱根という場所では、訪れる人をこころよく受け入れる、という気持ちは今でも息づいているのです。

2018/06/20

柚木沙弥郎(ゆのき・さみろう)の布に出会った2018年・梅雨

日本民藝館でやっている、柚木沙弥郎展に行ってきました。

家を出る時間が遅かったうえに、代々木上原の立派なお屋敷をながめながら、ゆっくりたどり着いたので、かけ足で見ることになりました。

まずは、西館が開放されていたので、そちらの見学から。なにしろ、月に4回しか公開されていないというので、見逃すわけにはいけない。

この西館は、柳宗悦の自宅を移築したものです。立派な書斎があって、すこしうらやましい気がしました。

そして、柚木沙弥郎展へ。まず、目に飛び込んでくるのは、2階から1階へ垂れ下がる長い布。紺色の半円が、重なりながら繰り返し描かれています。

そんなシンプルなデザインなのに、ものすごい力強さを感じます。これを見ただけで、もう満足。

子どもも(親の真似をしただけかもしれませんが)、「おおーすごい」と歓声を上げました。他の展覧会では、そんなことを言ったことはないのに。

そのほかの作品も、見ごたえがあるものばかりでした。

作品を見終わって、絵を買うことは難しいけれど、布ならどうにかなりそう、と思って少し探してみました。

「わ」というお店が柚木沙弥郎の作品を取り扱っています。が、シルクスクリーン以外は、のきなみ売り切れです。

フランス国立ギメ東洋美術館に70点も収蔵されているくらいだから、手に入れるのは、なかなか難しいようです。

2018/06/16

久しぶりの竹久夢二展 昔に見たときと感じ方がちがう

東京ステーションギャラリーといえば、東京駅からすぐ行ける美術館です。そこでやっている「夢二繚乱」展を見てきました。

この展覧会は、電車内にポスターを出しています。夢二の作品をうまく並べていて、現代風のおしゃれさを感じます。展覧会に向けて、期待が高まります。

そして入場料が、一般で900円。主催に東京新聞が加わっているせいかどうかはわかりませんが、とても安いです。ありがたい。

さて、展覧会はどのようなものでしょうか。

個人的には、学生のころには竹久夢二の作品を多く見た記憶があります。夢二単独の展覧会は久しぶりです。

感じたことは、何よりも、作品の数が多いということ。そして、いろいろな出版の形で発表しているということです。

画集だけではなく、雑誌の表紙、楽譜の表紙、絵はがきなどなど。

もちろん人気があったから、多くの作品を生み出すことができた、とも言えるでしょう。

夢二は、美術の大学に通って専門的な美術の教育を受けたわけではありません。そのような夢二にとっては、次から次へと作品を生み出していくことこそ、作家として成長するための力となったのです。

例えば、25歳の時の作品「夢二画集 春の巻」では、りんかく線に迷いがあります。しかし、39歳の時に発表した「どんたく絵本」では、線もすっきり、色はシンプルで、ものすごい洗練されています。


夢二といえば、美人画というイメージがあります。今回の展覧会で思ったのは、夢二は絵本作家としても、すぐれた作品を生み出したということです。

私にとって、子どもへの読み聞かせという形で、絵本が非常に身近になっています。だから、より、絵本作家としての夢二に興味を持ちました。

このように、いろいろな楽しみ方ができる、竹久夢二の展覧会です。